3月、都心では梅が開き初めていたのに。
・・・軽井沢はやはり『避暑地』だった。



<SNOW MONSTER>


「お嬢様にこんなところまでお見舞いに来ていただくとは。」
「本当に申し訳ありません。」

管理人夫婦は深々と頭を下げた。
特にベッドの上の夫人は、二つ折りにならんばかりだ。

「昔からよくして頂いているんだから、当然よ。大事にならなくてよかったわよね。早く治りますように。」

涼子が笑いながらそう話す隣で、泉田は持ってきた大きな花束を活けるべく、花瓶を持って外に出た。

涼子の別荘の管理人夫人が、突然倒れ入院したという知らせが入ったのは、昨日の朝だった。
結果は軽い心臓の発作で命に別状はないとのことだったが、週末を利用してお見舞いに行くという涼子に、
軽井沢で快適な?別荘ライフを過ごした経験を持つ泉田は、素直につき従った。

しかし。

病院の窓から見えるどんよりとした灰色の空は、凍てついた空気を漂わせ、路面に残る昨夜の雪は固くなりつつある。

まずい。
このままでは、涼子の愛車がいかに雪仕様のタイヤを履いても、道自体が通れなくなってしまうかもしれない。

とにかく早く帰ろうと花束を活け病室に戻ると、涼子が何やら見慣れぬ鍵束を受け取っていた。。


「わかった、帰りに様子見て帰るから心配しないで。」
「しかしお嬢さま、今晩は雪の予報です。危ないので私が。」
「大丈夫よ。こっちも2人だし、この調子じゃそんなにまだ積もってもいないから、シートをはたくくらいで済むと思うわ。」


泉田は一礼すると花瓶をそっとベッドサイドに置いた。
それを潮に涼子が立ち上がった。


「じゃあお大事にね。泉田クン、行くわよ。」
「はい。」


「本当にありがとうございました。」
「ありがとうございました。お気をつけて。」


外まで送ろうとする主人を手で制して、涼子と泉田は病室を出た。





「じゃあ、帰り、別荘に寄ってね。」


は?
泉田は思わず廊下の窓からもう一度外を見た。変わらぬ灰色の空だが、目をこらせばちらりちらりと舞うものが。


「別荘にって・・・雪、降ってきましたよ。ただでさえ、路面凍結の危険性があるのに、これ以上奥に入るのはお勧めしません。」
「別に標高3千メートルに登ろうってんじゃないわよ。危険なんかないってば。」
「しかし。」


涼子はミンクコートをぱさりと羽織った。


「わかったわ。じゃあ君はここから駅までタクシーで帰りなさい。あたし一人で行くから。」


そのまま涼子はカツカツとヒールの音を響かせて、廊下を歩いていく。
こうなったら涼子は絶対に泉田の言うことなど聞きはしない。

はああっと大きなため息を付き、泉田は後を追った。


「来なくていいわよ。」
「そういうわけにはいきません。」
「・・・なんなの、キミはいったい。」


なんなのだろう?と泉田は素直に思う。
いつぞや口に出したように、酔っぱらった涼子が綱渡りをしようとした時に、
下にネットを張り、涼子を止めるのが自分の役割だと思っている。

しかし。

そう言った時にも、涼子に問いかけられた。
『一緒に綱渡りはしてくれないんだ?』
・・・最後はいつも一緒に綱渡りになっているような気がする。
それは状況が過酷すぎて止めきれていないからか、初めからそういう流れにしかなりようがないのか。


「・・・だから、結局こうやって一緒に来るなら、説教なんてしなければもっとお互い楽しいと思わない?」


心の中を読んだような涼子の言葉に、泉田はいつものとおり目を閉じ頭を下げた。


「お供いたします。」
「よし、オトモさせてあげよう。」


病院のドアを出ると、尋常なく吹き付ける雪まじりの寒風。
その中を涼子の後ろに従い、泉田は車へ急いだ。





「カナディアン・バス・・・?」
「木で組み上げた露天風呂。裏庭に春のシーズンまでに完成させようとがんばってくれていたのよ。
先週ゴミが入らないように、そこにビニールシートをかぶせてきたらしいんだけど、あまり雪が降ると、
その重みで作ったばかりの木組が変に狂うんじゃないかって、あの夫婦は心配しているの。」

「なるほどね。」
「冬の間はガスも水道も止めてあるんだけど、先週暖かくなった時に、全部開通させた矢先の入院だからねえ。」


管は凍結の可能性があるので、全て外してしまうのだという。
泉田は涼子の話に相づちを打ちながら、慎重に別荘へ向かってハンドルを握っていた。
雪はひどくなる一方だ。しかもふわふわと大きな固まりが舞い降りてくる。
あまり気候には詳しくない泉田でも、これなら積もるに違いないと確信できるような雪。


「朝、東京を出るときから寒かったけれどね。今はマイナス5度くらい?」
「危ないですよ、これは。」
「そうね、泉田クン、ちょっと旧軽の銀座の方へ寄ってくれない?備蓄の食べ物が何もないかもしれないの。」
「仕入れましょう。」


ライフラインは使えそうで一安心だが、万が一の時のために食糧は必要だ。
備えあれば憂いなし。泉田はゆっくりとハンドルを銀座の方へ向けた。





「ちょっと時間がかかりそうですね、一旦手を止めて何か道具を探します。」


もうすぐ日は沈もうとする時間だ…だが、もはや空は見えない。空どころか、目の前も見えないような雪・雪・雪。

なんとか車を別荘のすぐ前につけ、中に入ったが、急いで裏庭へまわってみると、もはや足首どころか膝まで雪があり、
官舎のお風呂の3倍の広さはあろうかという露天風呂にかぶせられたビニールシートを2人で外そうとしたが、
シートは重く、涼子も泉田も雪まみれになったが、まだ半分外れただけだ。


「ん、さすがに足が痛いわ。」


その涼子の言葉に、泉田ははっと涼子の足元を見た。
いつもと同じピンヒール。そこから見える足が真っ赤になっている。


「警視!」
「もう中に入っていい?」
「もちろんです、早く!」


泉田の靴もズボンも濡れて、もはや足先の感覚はなかったが、涼子の冷たさとはおそらく比べ物にならない。
バルコニーで靴をぬいで部屋へ入ると、泉田は涼子の手を引いて、ソファに腰かけさせた。
暖炉はさすがに掃除がされておらず、付けると危ないので、部屋はまだ冷え切っている。

「凍傷にはならないと思いますが。」

泉田は床に座って、涼子の足をさすりながら両手で温めた。
冷えた手にも伝わってくるその冷たさ。


「気が付きませんでした、申し訳ありません。」
「仕方ないわ。お湯が沸いたらフットバスするからもういいわよ。それよりさ、この雪、このまま降り続きそうじゃない?
旧道までの道、出れなくなるほど積もったらどうしよう?不凍剤も何もまいてないからさ。」


旧道、いわゆる公道からこの建物までは私有地内で、木製の門柱からレンガ作りの壁がある約20Mほど、今上がってきた道がついている。
公道はある程度の対策が取られるだろうが、確かにこの別荘の中は、自分たちで何とかしなければ出られない。
しかも門から建物は、少し登っている。凍結や積雪の下り坂など車で走れたものではない。


「雪かきして道を確保します。」
「…ごはん食べてからにしない?」
「あ、そうですね。」
「それより先に着替えた方がいいわよ、管理人さんの作業服と靴が納屋に置いてあるはずだから。」
「探してみます。」


泉田はすっくと立ち上がった。





それからの泉田の動きは、凄まじかった。
台所でお湯を沸かし、買ってきたスープを温めパンとともに涼子のところへ運ぶ。
涼子の為にバスルームを整え、たくさんの部屋を暖めると効率が悪いので、暖房を涼子の寝室とリビングだけに絞り、最強にする。
着替えはすぐに見つかったが、作業着は大柄な泉田にはどれも小さく、レインコートがはおれ、長靴がかろうじて履けたのは幸いだった。


そして午後8時。

サクサク。ザクザク。
1時間近くかかって裏庭で、なんとか露天風呂のビニールシートを外した泉田は、
次に納屋で見つけた大きな雪かき用のスコップで、せっせと公道までの雪かきに励んでいた。
駆け出しのころ、物証を探して川底や山の中で作業しまわったことは何度かあるが、雪作業はめったにない。

雪は重い。泉田は汗びっしょりになっていた。
なんとか今晩中に車を出して帰りたいが、この雪なら公道も朝にならないと圧雪してくれないだろう。
動かない方が安全かもしれない。


「でもいずれにせよ、明日の朝には車を出さなきゃいけないわけだしな。」


泉田は手を止め、空を見上げてつぶやいた。
雪は少し小やみになっているが、昼から50CM以上は積もっただろう。


木々は風の方向に、羽毛のような雪をはりつかせている。

樹氷だ。
Snow Monsterと呼ばれる、ある気候条件下で起こる雪の芸術。


幾多の怪物と戦ってきた泉田にとっても、この雪という怪物は強敵のようだった。





「どうしたもんかな。」


涼子は部屋着に着替えてガウンをはおり、雪の中の泉田を2階のバルコニーから見ていた。


「うちの雪男がいかな働き者でもらちがあかないわよね。」


思考をめぐらせながら1階へ降り、裏庭の見える窓の方へ回る。
泉田がやっとのことでカバーを外した露天風呂には、少しずつ雪が入り始めている。


「あ、そうか。」


涼子の頭に妙案がひらめいた。





1時間後、まだ雪にまみれている泉田のところに、2階バルコニーから声がかかった。


「行くわよ〜!」


何が?
泉田がけげんに思って振り返ると、別荘の方から何やらもわもわと煙が上がっている。


「か、火事?」


泉田があわてて戻ろうとする足元で、ぴちゃりと音がした。


「え?なんだ?これ…水?」


足元を水が流れ、雪が少しずつ溶けてゆく。
いや、よく見ると煙、すなわち湯気が足元から登ってくる。これはお湯だ。

「いったいどこから?…あっ!」


泉田は建物の方へ駆け上り、裏庭へまわった。
露天風呂が満々と湯をたたえ、オーバーフローしている。その湯が、建物を巡り、門の方へ向って流れているのだ。


「名案でしょ?ガス代がとんでもなく高くつきそうなのが難だけど、まあ開き湯記念だと思って目をつぶりましょう。」


湯気に煙る1階バルコニーから、涼子が顔を出した。

「今晩中に雪を溶かすところまでにはいかないけれど、一晩この湯量で流しておけば、
明日の朝は凍結せずに済むと思うわ。お疲れさま、雪かきは終了、あと片付けておいて泊り支度をしましょう。
それと。」


涼子はくいっと露天風呂を指差した。


「働いた褒美に、一番風呂をとらす。」





冷気は相変わらずだが、雪は止み、煌煌と月が出た。


「極楽、極楽♪」


露天風呂につかって、ゆっくりと手足をほぐしながら、眺める雪は絶景だった。

樹氷はその姿を天に向かって伸ばし、月明かりに美しく煌めきながら漂う雪片に彩られ、
幻想的な姿を浮かび上がらせている。

泉田は湯につかったまま、涼子が雪に差し込んでおいてくれた小さなワインの瓶を傾け、グラスに注ぐ。


「SNOW MONSTERに乾杯。」


冬の終わり、最高の雪見酒。





すっかり暖まった体で戸締りをし、2階へ上がってラウンジを抜けると、涼子の部屋のドアに張り紙がしてある。

『歓迎・ふやけた雪男』

泉田はくすりと笑うと、ドアをノックした。



(END)




*長くなりまして申し訳ありません。泉田クン、雪に立ち向かうの図?それとも露天(しかも雪見!)風呂を楽しむの図?
双方ともリクエスト頂いた方、ありがとうございました。お気に召せば幸いです。
お涼サマだから、何か化け物が出てこなきゃいけないかなと樹氷、SNOW MOSNTERを
出してみました。泉田クンは雪男になっちゃいましたが。

なおお湯を流して道を確保する方法は、適量が必須条件です。少なければそのまま氷りつくだけなのでご用心ください。

なお、軽井沢の別荘の建物構造は、おおよそコミックスに沿っています。
小説では「木の門柱」になっているので合わせましたが、コミックスで見る限りでは、門柱はレンガかも。
距離も垣野内先生のだいたいの遠近法に沿っています。
ゆえにこの建物をまわって露天風呂をオーバーフローさせたお湯を門まで流すには、かなりの斜度が必要ですが、
そこは大目に見て下さい。何卒よろしくお願いいたします(涙)。

遅ればせながら表リニュいたしました。携帯用入口とか拍手とか、まだまだ変えるところが残っており、
とりあえず第一弾ですが、ご意見・ご要望あれば拍手でお待ちしております。